いじめは学校だけでなく家庭や会社さらに今ではネット上でも、人と人とが交わるところには必ず存在する可能性がありますよね。😢
現代社会は昔に比べて多様化が進んではいるものの、まだまだ一人ひとりを尊重した柔軟性のある社会生活を営むには程遠い道筋にあると思うんです。😞
そもそも哺乳類である人間はみな愛情をもって生まれてくるんですけど、それと同時に自分を守ろうとする野性的な本能も目覚めるようになります。🐈
この相反する愛情と敵対意識のはざまで、人は悩みつつどこかでストレスを感じながら成長していくものだと私は考えています。👦
そしてそのストレスの蓄積がその人の許容量をオーバーした時、相手を敵としてとらえあらぬ攻撃をしかけ出すのが「いじめ」にあたる行為ではないかと思います。🤕
またそれは典型的な「無視」という行為だけに留まらず、「ハラスメント」だったり「DV」や「虐待」のような日常的な犯罪行為、挙句の果てには国家を挙げての戦争犯罪にまで発展するのが人間なのではないでしょうか。💣
とりあえず集団や組織的ないじめはさておいて、一対一の個人的ないじめに的を絞るとそこには人間としての負の感情が引き金となって、相手に思い知らせる行為として存在することが分かります。😡
ではなぜ相手に負の感情が芽生えるのかというと、簡単に言えば相手が自分の意志や思想に反する存在だからにほかなりません。💔
たとえばそのような人は自己中心的でナルシストだったりプライドが高く、相手より優位であると自負しているからこそ、自分では及ばない品位の高い相手の存在を脅威に感じ、自分の器の小ささを素直に受け入れることができず、そのストレスのはけ口としていじめが起きるケースもあります。💢
また他にも自己中心的な人は自分が生理的に受け入れられない相手に対して、その存在自体を許すことができずに断固として拒否する自衛本能からいじめが起きるケースもあります。⛔
こうしたいじめを誘発する自己中心的な人は特に人生経験に乏しい幼少期から青年期に多く、まだまだ小さい器であるにも関わらず経験の浅さゆえに今の自分が絶対であると信じ、そんな自分を守ろうとする本能的な手段として、いじめや嫌がらせしか思いつかないのが哀しい宿命でもあるんですね。😩
ただ現実には大人社会の一員になってもいじめや嫌がらせをする人が絶えないですし、この延長線上として殺人のような凶悪事件に発展するケースも珍しくないんですよね。🔫
まだ子供であれば自分本位な性格もある意味仕方のないことかもしれないけれど、大人になっても同じことを繰り返す人は医学的に発達障害として扱われるケースも少なくないようです。🤓
このように人間は本能的に自己中心的で自分本位な内面がある限り、いくら技術的に格段の進歩を遂げても決して安住の地は訪れないでしょう。🤖
地球上で唯一秀でた存在である人間も、やはり生まれ持った醜い本能を自ら克服する術は生み出すことができないのかもしれません。。。🧠