こちらはつい先日米国のトランプ大統領が6年ぶりの訪日の際に催された、日本の高市新首相との首脳会談の一幕なんですけど、おそらく世界中の多くの国々にも配信されているものと思います。📺
ここでは向かって左側が米国で右側に日本の各首脳陣が並んでいて、まさに日米会談の場であることは言うまでもないんですけど、ところでこのシーンの中でどこか不思議と言うか疑問に感じるところはありませんか。🤔
最も明快で分かりやすいと思うのは、米国側のテ-ブル上には特に何も資料らしきものがない一方、日本側には全員がテーブル上に資料を置いているところだと思うんですけどどうでしょう。🧐
そう言えば、日本では国会での議論など政治家や議員が言葉を発するシーンのほとんどで、その面前に資料を携えていて一言一句それに目を走らせているのをよく見かけることがあると思いませんか。👀
もちろん比較的長い演説であればそれも道理ですし、最近では前石破首相が国連で演説されていた時のように、海外などではプロンプターという文字転写装置を壇上に配置して、顔を正面に向けたまま読み上げることができる手法も取り入れられていて、まるで自分の言葉で伝えているかのような威厳ある発言として伝わることが最大のメリットとされています。🎤
ただ日本ではあまり使われていないようですけど、それにしても日本を代表する政治家でありながらまるでテレビのアナウンサーであるかのように、与えられた台詞ありきの発言に多少なりとも疑問を感じている庶民は少なくないと思うんですよね。😓
なんで政治家自身の言葉で話さないのとか誰がその台詞を書き上げているのとか、それが官僚と呼ばれるいわば政治家の裏方の力量に頼っていることを、多くの庶民は知る由すらないこともまた事実なんですよね。💪
アナウンサーと言えば言語を通じた文章表現のプロでもありますから、もし与えられた台詞だけで言葉として表現するとしたら、政治家であっても物の数ではないのは言うまでもないんですけど、そこに立場の違いすなわち権威が加わることによってその言葉に幾重にも威厳と崇高さがくるまれて、まさに国そのものが言葉を発しているかのような尊厳と格式をかもし出せるのは、国を代表する政治家にしかできない唯一の芸術と言えるのかもしれません。🗾
と、ここまで持ち上げてみて改めて疑問に感じるところは、それならなぜ米国側には台詞が用意されていないのということなんですけど、確かにニュースでも台詞に目を通している米国の政治家はあまり見たことがないですし、もしかするとこれが本来の政治家たる姿ではないのかなと思う事もあるんですよね。😰
これを国ごとの慣習の違いとして片付けてしまうのは簡単ですけど、この台詞ありきの日本ではいつ誰が政治家になっても同じ言葉として伝えられるメリットがある反面、いつ誰が政治家になっても何も変わり映えしない上に、見方によっては俗に言うパフォーマー的な存在として軽んじられてしまうデメリットもあって、良くも悪くもこうした慣習こそ短期間で次々と内閣が変わる理由のひとつなのかもしれません。🤫
それにやっぱりこうして会談の場を見直してみると、体格は別にしてもパッと見ただけで両者の風格の違いは明らかですし、常に下向き加減なところもどこか自信なさげな印象が少し頼りなく感じられてしまうのは私だけでしょうか。😭
日本国内では力強い印象を見せつけている新高市政権ですけど、なぜか世界の中では相変わらず漠然とした頼りなさがかもし出されているのも不思議です。。。