約束は破るためにある…
こんな言葉を相手から言われたことがある人は確実に裏切られたことを自覚しただけではなく、あまりの衝撃的な状況に身もだえ人間不信に陥(おちい)る瞬間も目の当たりにされていたと思います。💔
そうなんです!約束を交わすということは、相手との結びつきを維持できるか分からないからこそ行う表面的な儀式であるとともに、その時点から常に深層心理の中で破断の危機に囚われることにもなり得る行為でもあるからです。💦
現に人類の多くはわざわざ約束を交わさなくても、しっかりと絆を維持し続けられることを身をもって体験しています…それはまだ一人で生きていくことが難しい幼少期に遡(さかのぼ)ってもらえれば分かるように、実の父親や母親から注がれる愛情こそこの世に生まれて最初に結ばれる、生命を保証してくれるかけがえのない暗黙の約束であり心の絆なのです。👪
もちろんその頃から家族と約束を交わしたり心の絆を実感することなく成長していくのは当たり前の姿ですし、もしそれを意識しているとしたらすでに何らかの情報源から裏切りの感性が芽生え始めている証(あかし)かもしれません。📺
また一方では様々な理由からこうしたごく当たり前な境遇に巡り合うことができなくて、幼少期から猜疑心(さいぎしん)に翻弄(ほんろう)され自分を見失いながら生きている人も少なくありません。😔
更には親ガチャという言葉に代表されるように、実の親が己の権力を己のために振りかざしあたかも親子関係の裏切り行為ともとれる非道により、まだ成長期真っ只中の純真な心の芯が180度折れ曲がってしまい、支えのないこれからの人生をどのように生きればいいのか苦悩し路頭に迷う人さえも決して少なくありません。😞
そういう人々にとっては約束という行為がどういう意味を持つものなのか、そもそもその存在意義すらすでに理解不能であることは言うまでもありませんし、何かで現状を変えてあげない限り永遠に人との絆を結ぶことができずにいるということです。💔
人を平気で裏切ることができる人は主に幼少期の様々な巡り合わせの悪さによって、常に猜疑心に苛まれ続けていたり心の絆とは無縁の環境の中での生活を余儀なくされていたのも一因のように思うんです。🦱
約束…絆…信頼…信用…それぞれの重みを理解できる多くの人がいる一方で、それらにどのような価値があるのかを認知しない人もまたこの世界にあふれていることと、そういう人にとって「裏切る」ことは決して自身に心の痛みが伝わらないということを知る必要があるかもしれません。。。
その上で「約束は破るためにある」という言葉の裏に潜む苦しみと哀しみの奥深さを想い察することで、改めてその相手から裏切られたと感じた本当の理由を知るきっかけになるとしたら、人としてどのような態度で臨むことが正しい姿であるかが自然と見えてくるかもしれません。。。
これは単なるフィクションでもお情けちょうだい話でもなく、現実への扉のひとつをただ開けただけに過ぎないのです。。。