♪指切りげんまん、ウソついたら針千本飲~ますっ!指切った!!
今の子供たちはこの「指切りげんまん」を知らないかもしれないけど、友達と約束事を交わした時に必ずやっていたおまじない(●●●●●)的な行為なんです。👐
これは大人社会の中でいういわゆる契約書のようなもので、約束事を交わした同士の小指と小指を絡めながらお互いにこうした「呪文」を唱えることで、相互に信頼し信用を分かち合う儀式のようなものと言ったらいいでしょうか。🎎
その当時日本の社会は多様性を異端視しつつ、一定の習慣や慣習・常識の流れの中での生活を余儀なくされていたんですけど、幸いそうした社会的常識の一方向性によって国民全体がほぼ同じ民意を保てていたことから、一度交わした約束事を破るのは卑怯で恥べきという心情が無意識に芽生え、意外にも人々の心の絆が強かったからこそ一見シンプルな「呪文」にも大きな意味があったような気もします。💖
特にこの「呪文」の最後に「指切った!!」のフレーズがあるのは、これから繋いでいる小指同士を離してもお互いの信頼の絆はずっと続くんだよ!!という強い信念が込められているからこそ、単なる約束を守ることだけでなく相手を心から信じるという暗黙の了解でもあるのです。💕
そして時を経て現代の情報化社会にあっては、一人一人が様々な情報を得られるようになってきたことでそれぞれに多様性が育まれ、より自分らしい生き方を自分自身で選べる世の中になりつつありますね。🥰
高度な情報化によって時間の流れも早く感じられるようになり、一人一人の考え方や想いも日進月歩で変化に暇(いとま)がなくなりつつあるのが現状ですから、当時でこそ意味があった「呪文」も相手が人である限りその存在価値が常に変化していくことになります。😰
つまり現代はひと昔に比べて圧倒的に「裏切られやすい」世の中になっていると言っても過言ではありませんし、それゆえこの社会で生きていく上でいかに裏切られないようにするか、またいつ裏切られてもいいような心構えも残念ながら必須になりつつあると思うんです。😔
人間は様々な思惑を抱くものでそれが自然な姿でもあることから、同じ意志を共有した者同士だけでは生きていけないのが今の世の中。。。
そんな中人間嫌いや人間不信になるのも当然だけど、いよいよ人を騙すことに躊躇(ちゅうちょ)しなくなりつつある現代社会で本当の自分を持ち続けるために、そろそろ私たちも本当に指切りげんまんできる相手かどうかを見極める能力に目覚める頃合いかもしれません。。。
裏切られた時99%は裏切った方が自分善がりな理由かもしれないけれど、ただ一方的な私欲の鎖(くさり)による束縛ではなくお互いが心から絆を深め合っていたのなら、それまでの時間は決してウソではなく両者間の素直な思い出として心に留めておくべき。。。
そして裏切られた時の残り1%については、裏切ったのが実は相手のため(●●)を想っての厚意が理由だったと、いつか時間と共に理解できるようになれること。。。
いじめられた時、裏切られた時、人はその一瞬で不安や恐怖・怒りや憎しみで心が満たされてしまうけど、そんな相手にも自身を見詰めより生きやすい道を選びたい想いがあるということと、人の感情は時と共に移り変わるものであること、この2つの心情を理解できるかどうかでお互いその後の人生が大きく変わっていくような気がしませんか。。。
もちろん今の裏切られた立場を悔やみ恨み相手を拒絶するのも人として自然な姿だけど、その感情が本当に真実によるものかどうかを確かめるには安易に拒絶するのではなく相手を更に深く知ること、そしてそのためにかける時間こそ何よりも正しい解決への近道だと考えてみるのも悪くないかもしれませんね。。。