裏切るという言葉の意味には明確な辞書的定義こそあるものの、それが正しく認知されていないのはそのシチュエーションが人の感情に委ねられているからで、その受け取り方も一人一人それぞれ異なるものだからこそだと思います。👥
それもそのはずで、-その1-でもお話した通り自身が裏切られたと感じると如実に本性が現れるのと同時に、そのほとんどが抱く感情は多かれ少なかれネガティブな感覚にとらわれてしまい、ある人はともに歩んでいた足並みを拒否された喪失感と挫折感・絶望感に苛まれたり、またある人は相手の存在に対する敵意と憤り・恨み・憎しみを抱きまさに仇敵殲滅(きゅうてきせんめつ)の意識に苛まれることにもなるからです。😈
ちなみにこの両者以外だった場合は、すでに相手が裏切ることも無意識に想定していて、そのシチュエーションが訪れてもそれほど感情の起伏が生じていない…つまりそもそも相手との心の絆を結んでいないことになりますから、今回の内容からは大きく外れることになります。😤
そもそも相手との絆を求めるのは、大抵は相手の存在自体が自身にとって有意義で欠かせないと感じている場合と、相手が所有しているリソースを利用する必要がある場合とに分かれると思います。🥰
その時最も必要なのはシンプルな以下の3つです。
ここで人はそれぞれ持ち前の力を発揮し様々な努力をして相手の気を引き、信用・信頼を育みながら絆を深めていくことになるんですけど、この時どれだけの努力をして絆を深めたかについては、相手に対する熱意のバロメーターとして心の奥底に記憶されているとしたらどうでしょう。💖
そして記憶されたパロメーターは絆が固く結ばれているという意識の中では、常に相手に選ばれ共に歩んでいるという大きな自己肯定感と高揚感で満たされることになり、これは自身にとって(●●●●●●)もはや幸福の絶頂として疑わなくなるでしょう。💘
でもそれが本当に幸福の絶頂なのかどうかは自身だけで決めることではなく、同じ人間である相手にも同じく固い絆で結ばれているからこそのもので、それなくしてはただの関係を持っただけのことに過ぎず、到底絆とは呼べるものではないというのが現実だからです。😰
もちろんそれを自分ひとりであたかも事実であるかのように感じることもそう振る舞うことも自由だけど、最初から相手に結んでいる赤い糸がすぐほどけてしまうような状況だったとしたら、それはただの道化芝居を演じているだけかもしれません。🤡
裏切られるシチュエーションは常に相手側からのアクションであることからも分かるように、相手が人間であればその人なりの考えや思いが影響することも理解する必要がありますし、人間だからこそ裏切られるというネガティブな感情が沸くことは言うまでもありません。👥
このシチュエーションに遭遇した時、ほとんどの人は一方的に相手を許せないという想いが先に立つと思いますし、それと同時に今まで培ってきた熱意のバロメーターがそのまま敵意のバロメーターに変貌することでしょう。😡
でもここで自身の本性によっては、その激しいバロメーターのギャップから違和感とともに理性が働いて、そのシチュエーションが生じた原因や背景を顧(かえり)みようとすることで、ネガティブな感情が発現するタイミングを一定の間抑制できると思うんです。🤔
ここで問題なのがその激しいバロメーターのギャップをそのままネガティブな感情につなげてしまうことで、あまりのギャップ度に自身のコントロールができなくなりその感情のままに操られてしまうという、いわゆる心神喪失に近い状態になってしまうことなんです。💔
そんな時もし本気で「許さない!」という感情が沸くことがあれば、すでに心神喪失に近い状態に陥り始めている段階かもしれませんし、相手のことを人ではなくモノとして感じ始めている段階に差し掛かっているのかもしれません。😈
それは相手の意思よりも自身の感情が最優先されてしまうという、一見自然な本能にも感じられるけれど同じ感情を持つ人をモノとしてしか捉えられなくなる、人間ならではの鬼畜さと発狂衝動の瞬間が垣間見れるシチュエーションでもあります。🧛
このように裏切られたと感じた時には人間の感情の中でも最もネガティブな感情が沸きやすく、その振幅度も圧倒的に起伏が著しいものがあるからこそ、普段からそうしたシチュエーションにならない!させない!ように十分気を付けなくてはと言うのは簡単ですけど、人の本性は自身でコントロールできない領域ですから事前に警戒することができないんですね。👮
ではどうすればこうしたシチュエーションを回避できると思いますか?😞