本日9月2日は、あの忌(いま)まわしい第二次世界大戦の終戦日にあたります。💥
そしてそれはこの画像にあるように、わざわざアメリカの戦艦ミズーリによって運ばれてきた降伏文書に日本がサインしたことによってもたらされました。🚢
なぜ日本がサインしたことで大戦終結となったのかと言えば、同年7月に日本と敵対する連合国軍から最終的な降伏勧告として発布されたポツダム宣言を無視し、最後まで戦争を続けていたのが日本ただ一国だったからです。😤
ではなぜ日本が最後まで降伏しなかったのかについては定かではありませんけど、当時の戦犯者たちの苦悩の中にこれまでの数多くの国民の尊い命を犠牲にしてきたからこそ、この大戦に負けることはあってはならないという強迫観念がぬぐい切れなかったからなのかもしれません。🖤
祖国のため家族のため恋人のため日本に忠誠を誓いつつ、その命を捧げていった兵士の数が230万人ということを考えると、当時の日本総人口約7000万人のうち3%が日本を守るために犠牲となった現実を、不束な政府ながらも痛く受け止めざるを得なかったことでしょう。💔
とは言え、降伏を拒否された連合国軍がそのまま黙って見過ごすわけがありませんし、それこそ日本を壊滅させるべく総攻撃をかけて全土を焼け野原にして、再起不能にすることも当然考えられるシナリオだったと思うんです。😡
でもそれはしなかった。。。というかできなかったのでしょう。。。命の尊さゆえに。。。
それゆえ連合国軍は苦肉の策として、当時国内主力の軍事工場があった広島と小倉に限定して、強烈な雷(いかずち)を放つことで幕引きを図り、広島への原爆投下と小倉視界不良にてやむなく予備のターゲット長崎への投下となったようです。💣
これはまだ第一次世界大戦よりもずっと以前に行われていた日露戦争で日本が勝利した事実が起源という話もあるとおり、当時世界の中で圧倒的な軍力を極め強国として認められ、その後連合国軍として参戦した第一次世界大戦でも勝利し、日本がその地位を不動のものとした経緯が事の始まりでした。🗾
大戦後しばらくして世界的な大恐慌が起こり、日本もそのあおりを受け昭和恐慌に巻き込まれ経済難と生活苦に見舞われるという状況に追い込まれていきます。😰
その時幸いにして日本は中国東北部の満州に進出し現地の資源を確保できる体制を整えつつ、それを侵略とみなされないように鉄道網を構築するという一見厚意的な偽装政策に終始していたようです。😎
その後偽装政策から一転して積極的に現地資源を調達するため、事実上侵略行為を勃発させたのがいわゆる満州事変であり、これこそが来る第二次世界大戦(太平洋戦争)の伏線となったのは言うまでもありません。💥
当時戦車や軍艦など兵器を動かすためには石油燃料が欠かせず日本もその例外ではなかったため、その輸入相手国アメリカとはしばらく良好な関係が続いていたものの、日本軍の卑劣で残忍な侵攻状況を鑑(かんが)み次第に業を煮やすこととなり、間もなく日本への石油輸出全面停止措置が実施されるようになりました。💢
そうなれば軍事強国という強い自負を抱いている日本が黙っているわけもなく、そんなアメリカとも外交的緊張が生じて敵視するようになり、マレー半島そしてあの真珠湾(パールハーバー)への奇襲攻撃へと突き進んでいくこととなりました。🚢
そして最後まで軍事強国という強い自負にしがみつき、国家的洗脳(プロパガンダ)による国民の戦意高揚を維持しながら、彼らの命を爆弾とともに特攻させる狂気の沙汰にまで至らせたのは、すでに世界中の多くの人の記憶から消えつつある紛れもない真実なんです。🧠
その上で日本一国が最後まで戦争を終わらせられなかった理由と、世界(特にアメリカ)から見た日本という存在への危機感の大きさを改めて深く悔い改め、明日の正気な日本へと導く想いを新たにする日こそまさに本日の終戦日がふさわしいのかもしれません。😔
語り継がれているような日本戦艦大和が片道の燃料を積んだまま撃沈されたという話の中、その時点でもはや日本の敗戦が確定したことを認知できる政府であったなら、あの2発の惨劇は決して起きなかったことでしょう。。。